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まほろばの道 ハイキング

  平成26年9月28日(日)に埋蔵文化財調査センターボランティアの方々による「まほろばの道ハイキング」に行ってきました。当日は秋晴れで絶好のハイキング日和でした。私たちが集合場所の甘木鉄道松崎駅に到着した午前9時過ぎには、かなりの人数が集まっていました。

                             ※まほろば・・・すぐれた立派な場所。(大辞林 第三版)

  ボランティアの方から挨拶とコース説明、ストレッチ体操が行われた後にハイキングが始まりました。今回は7世紀から8世紀にかけての郷土の文化遺産を巡るハイキングになります。

<駅前には黄花コスモスが咲き誇り、まさに秋たけなわです>

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  甘木鉄道松崎駅の裏口から出ると3分少々で「ふれあい磐戸公園」に着きます。周りには大きな倉庫などがたくさんあります。この辺りの場所は工業団地として造成されました。

  工業団地の造成時に7世紀後半から8世紀前半の「上岩田遺跡」が発見されています。平成12年に国指定史跡となりました。当時、金堂が建っていたと考えられる場所には、基壇が今でも残っています。また、近くの竪穴式住居跡からは硯が出土しています。ここは役所であったと考えられています。調査から、寺院とこの建物群が一体となって役所を構成していたとみられ、信仰を利用して中央政権が地方の統治を進めたことを示す非常に貴重な史跡だと考えられます。

  上岩田遺跡にあった役所は、小郡官衙よりも前に成立していました。この役所は「評(ひょう)」と言われる古代の地方組織だそうです。当時の金堂やその他の建物は678年の筑紫国地震(ちくしのくにじしん)で倒壊したとする説が有力です。

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<ふれあい磐戸公園の西南部にある金堂基壇跡>

  「ふれあい磐戸公園」出て高速道路北側の道を行くと、井上区の集落に着きます。井上区の集落には奈良時代に建立されたと言われる井上廃寺の痕跡を見ることが出来ました。井上廃寺の正式な名称は現在のところ解っていないそうです。

 昭和34年(1959)県立三井高校に保管されていた瓦を、九州大学で調べたところ「棰(たるき)先瓦」だとわかりました。棰先瓦とは屋根の軒先に向かう垂木(たるき)の先端部に取り付ける瓦で、当時九州では初めて発見された資料でした。これらの瓦は、上岩田遺跡の金堂周辺で出土したものと同じ種類で、678年の筑紫国地震で金堂が倒壊した後に、場所を移して再利用したものと考えられています。

 また、井上区の憶想寺の場所から井上廃寺の南門とみられる遺跡が発見されました。こられの事から、井上廃寺は、南門を南の入口とする南北180m、東西120mの大きさの寺であったと考えられるそうです。

<憶想寺にある案内板>

<瓦が見つかった場所は、「かわらざか」と呼ばれています>

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  井上区を抜け国道500号線に出ます。そして宝満川を渡り、「やかべ饅頭」のところで右斜めの側道へ入ると「石崎さん」を見ることが出来ます。「石崎さん」のところの道がかつての官道になるそうです。官道は今でいう国道のことで、当時の役所と役所の間を最短距離で結んでいました。

<石崎さん前の官道跡>

  少し行くと甘木鉄道大板井駅に着きました。この辺りは高架式の鉄道になっており、私たちは高速大分道を右手に見ながら、高架下の遊歩道を歩いて七夕通り方面へ向かいました。この場所は雨の日でもウォーキング出来そうです。

<右手が大分道。このコンクリート製の橋梁上を甘木鉄道は走っています>

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  小郡市役所からお昼を知らせるメロディーが聞こえる時分に、小郡官衙遺跡に到着しました。井上廃寺が上岩田遺跡の信仰的な後継であるならば、小郡官衙遺跡は行政的な後継であると考えられるそうです。時代によって建て代わっていますが、第2期の建物群が規模的に一番大きいものであるとの事でした。

  小郡市は田園が広がるのどかな町ですが、古代から中央政権が役所等をおくなど筑後北部では重要な場所であったことが理解できました。まさに「まほろばの道」であると感じました。

<お知らせ>

 次回の埋蔵文化財調査センターボランティアさんたちによる史跡ハイキングについてご案内いたします。次回のハイキングは、小郡市内で初めて行われる小郡市南部地区でのハイキングになるそうです。楽しみですね。

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