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大中臣神社 将軍藤まつり

 次第に日が長くなり、清々しいほどの青空に風が薫る頃、小郡市福童にある大中臣神社にて「将軍藤まつり」が開催されたので訪れてみました。

 

【大中臣神社】

 大中臣神社は天平12年(740年)に藤原広嗣により創建され、嘉禄2年(1226年)現地へ遷宮されました。天保6年(1835年)、現在の社殿が再建されたと言われています。祭神は天児屋根命(主祭神)、武甕槌命(脇祭神)、経津主命(ふつぬしのみこと)、三筒男命(脇祭神)。御神徳には病気平癒、災難除、武運長久などがあります。市指定文化財である楼門や、県指定天然記念物である将軍藤が有名です。3月11日には粥占神事が行われ、今年度の福童周辺の吉兆が占われました(興味のある方は「大中臣神社 粥占神事」のレポートをご覧ください)。 

 

【将軍藤】

 境内にある樹齢600年の藤の大樹は将軍藤といわれ、征西将軍・懐良(かねよし)親王のお手植えの藤といわれています。大保原合戦で重傷を負った懐良親王が天児屋根命の加護により全快したため奉納されたという言い伝えが残っています。

 1970年(昭和45)に福岡県の天然記念物に指定され、4月の下旬から5月のはじめまで美しい花を藤棚いっぱいに垂らし、周囲に甘い芳香を漂わせます。地元では毎年その時期に「将軍藤まつり」を開催しており、市内外から多くの見物客が訪れるそうです。



◎起業祭


 2014年(平成26)4月20日の午前11時から午前11時20分まで、藤棚の下にて執り行われました。

  一般的に起業とは「新たに事業を始めること」であり、将軍藤まつりになぜ「起業祭」なのかは分かりません。しかし、小郡市・大刀洗町・朝倉市の副市長がそれぞれ玉串を奉納していることから3つの自治体に関係する公的な事業を始めた時に将軍藤に祈念したのではないかと推測されます。

  

記録:

10:40 松崎 NPO法人事務所出発

10:55 大中臣神社

11:00 起業祭開始

  <神事の内容:時系列>

   □□□の儀(聞き取れなかったため不明)

   献饌(けんせん)の儀

   祝詞奏上の儀

      (各団体の代表が玉ぐしを捧げた)

   撤饌(てっせん)の儀

   公民館で直会

11:20 起業祭終了





 私たちが到着した時刻には、大中臣神社の裏手駐車場(福童公園)には50台程度の車が駐車していました。神社内に入ると、将軍藤の周りに紅白幕が張られ、藤棚には紅白提灯が飾られていました。露店も境内西側に3店舗ほど設置されており、華やかな雰囲気でした。






 将軍藤の周りには祭壇が築かれ、様々な供物が供えられていました。祭壇の左側に神官・巫女・司会者が並び、祭壇正面にスーツの上に藤色の法被を着た約50名の男性が整然と6列ほど並んでいました。


 

 いくつかの儀式が神官によって執り行われた後に、神官による「各祝詞奏上の儀」に続き、団体の代表者による玉串奉納が行われました。奉納する際には、榊を神殿に備え祈念したのち、柄杓でお神酒を将軍藤の周りに撒いていました。

 その後に神官によって「撤饌(てっせん)の儀」が行われ、起業祭神事は終了しました。終了後は有志によって近くの公民館で直会が行われると司会者より伝達されました。



 小郡市に住んでかなりの歳月が経ちますが、ここを訪れたのは初めてでした。予想外に整備された神社境内で驚きました。県道沿いから鳥居をくぐると鯉のたくさんいる池があり、小さいながら朱塗りの橋が境内に導いてくれます。池には小島が浮かび東屋があります。

 境内西側に将軍藤の幹があり、そこから約500㎡にわたり藤棚をめぐらせています。幹の南西側に「天然記念物 将軍藤」の碑があります。

 藤棚の西側に露店が設置され、食物・お菓子等を販売しており祭りの雰囲気を盛り上げていました。




 この日、主役の藤の花は5分咲きといったところ。北側の藤棚が南側より咲いていたのが印象的でした。

 写真は将軍藤を北東から撮影したものです。この時期は南側の藤より、この場所からの藤の開花が進んでいます。

 ◀マウスオーバーで藤の花のアップ写真になります。これは藤棚中心部で撮影しました。

 


◎夜の将軍藤


 将軍藤まつり開催期間中(4月20日(日)から5月5日(月祝)午前中)、境内に広がる薄紫色の藤棚は夜9時までライトアップされます。


 私たちが訪れたのは4月23日(水)の19時半頃だったのですが、夜の帳が下りた濃紺の空に黒々とした境内の神殿や木々が聳え、それらを提灯の緋色が照らすという幻想的な光景が広がっていました。

 市指定文化財の楼門(天保6(1835)年建立、平成4(1992)年に大修理)も昼間の趣から色を変え、どこか抒情的にも感じられました。左側の写真は南側(鳥居側)から、右側の写真は北側(神殿側)から撮影したものです。

 境内南東側にある将軍藤も同じように照らし出されており、こちらも陽の下にある時とはまた異なった美しさを匂い立たせていました。

 その暖色に染まった姿は妖艶でもあります。藤の近くでは物言わずじっと花を見つめる人や、記録者のように写真を撮る人がおり、誰もが魅入られているようでした。

 藤棚の周囲には机とベンチがあるので、数グループ(15人ほど)が夜藤を眺めながら屋店で購入したと思われるものを食べていました。

 藤はあと2週間ほど、益々その房を重く垂らしながら咲き誇ると思われます。夜藤を楽しむ人も、これからまつり終了まで増えることでしょう。5月5日の昼には花の剪定が行われてしまうそうなので、一度は足を運んで頂きたいです。

 

 

 

◎昼間の藤まつりの様子

 

 

 4月29日(火祝)、小郡市教育委員会主催の「合戦の道ハイキング」(興味のある方は「合戦の道 ハイキング」のレポートをご覧ください)に参加したのですが、その終着地点が大中臣神社であり、先日訪れた時よりも更に棚いっぱいに広がった藤が迎え入れてくれました。

 昭和の日で休みだということもあって藤棚の周りには人が大勢集まっており、それぞれ写真を撮ったり、香りを愛でたり、食事をしたりして各々楽しんでいるようでした。