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- 平成26年度 NPO法人小郡市の歴史を守る会 社員研修
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- 「薩摩街道を歩く」モニターツアー 道中記
- 埋文センター友の会研修
- 七夕の里振興協会研修会
- そば打ち体験
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『松崎城跡と霊鷲寺をたずねて』散策ハイキングを終えて
2020年11月28日(日)に晩秋の松崎『松崎城跡と霊鷲寺をたずねて』と銘打った散策ハイキングが行われました。新型コロナウィルス感染症が身近な脅威と感じられる中、感染対策に十分気を配りながら9名の参加者を旧松崎旅籠油屋に迎えて、午前9時40分より散策が始まりました。

油屋の保存と活用を考える会磯部さんが挨拶され、そののちに油屋主屋の一階から二階を案内し、建築の事から西郷隆盛に係わる伝承まで丁寧に説明をされました。
旧松崎旅籠油屋を出て、晴れてはいますが冷え込む中を揃って伊吉櫨に向かいました。ここに残る櫨の木は、松崎に残る唯一の櫨の木だそうです。
櫨の木を前にして、「江戸時代の享保15年(1730)に小郡下町で生まれた内山伊吉が、櫨の木を品種改良して小郡町庄屋池内孫左衛門と実がたくさん収穫できる櫨の木を造り上げた。そのお陰で松崎にも往時には伊吉櫨がたくさん植えられ財を成す人も出たが、洋ロウソクの普及と共にその姿を消していった。この木は老木で今でも実をつけ、晩秋には真っ赤に紅葉している。」と説明がありました。
御茶屋の前を通りました。ここは、江戸時代に藩主が休息や宿泊のために使う御茶屋跡で、薩摩街道を参勤交代で往来する大名や役人の「本陣」になった所と説明がありました。
御茶屋入口の横に中町のえびす様が祀られ、えびす様の左腕にオレンジ色の鯛を抱えておられるのが特徴だと説明がありました。
御茶屋の前の通りは桜馬場(さくらばば)と呼ばれています。松崎藩主有馬豊範が、道の両側に土手を築かせ山桜を植え、馬の訓練もさせていたそうです。ある参加者が、「ああ、それで桜馬場と言うんですね。」と納得されていました。
薩摩街道がクランク状になった南枡形を通り、下町のえびす様を見ました。ここのえびす様は、中町のえびす様とほぼ同じ時期の大正時代に祀られたものです。
南枡形を南に下ると道の左側に旅籠鶴小屋が見えてきます。鶴小屋は、松崎に残る二つの旅籠の内の一つです。鶴小屋の名前の由来は、江戸時代の藩の鶴番小屋からきているそうです。
旅籠鶴小屋を南下すると南構口に到着します。南構口は、薩摩街道に造られた松崎宿の出入り口であり、久留米有馬藩が宿場の防御や治安維持の拠点として造ったものです。説明の時に歌川広重の浮世絵を見せてもらいました。この浮世絵には、東海道藤川宿の構口が描かれていました。東海道では構口の事を見付(みつけ)と呼んでいたそうです。浮世絵に描かれていた構口は、松崎の南構口と同じ石垣造りでした。
次は、小郡市松崎出身で詩人や編集者として活躍した野田宇太郎と、その父母が眠られている野田家墓地の近くを通りました。この墓地には、生前の野田宇太郎の願いを受け、神奈川県相模原市のお寺から分骨された野田宇太郎の遺骨が納められています。
野田家墓地から城近堤に進むと静かな森の雰囲気があり、江戸時代に松崎藩があった事を感じさせます。城近堤は松崎城の内堀だったといわれています。近年は松崎区の有志により子どもたちが楽しめる釣り堀としても活用されていました。
城近堤から森を抜け松崎城跡付近に来ました。
松崎城は、藩主有馬豊範一代の16年間で廃藩となりました。お城は廃藩の翌年に久留米藩によって壊されたそうです。また、お城と言っても実際には石垣を持たない館であったようです。
平成9年に、三井高校プール建設の時に埋蔵文化財の発掘調査が行われ、一部松崎城に関係すると想定される遺構が発見されました。
松崎公民館で休憩タイムです。みなさんトイレに行ったり、公民館で行われていた子ども生け花教室の花を見たりして過ごしました。
ハイキングは前半終了して後半に向かいます。
天満稲荷神社境内で、松尾芭蕉の句碑があると教えられ見に行ったりもしました。
遺跡の基壇、基壇の上に建てられた想像される建物、上岩田遺跡の想像図をパネル写真で見ました。
発掘当時、基壇には地震による地割れが刻まれていて、『日本書紀』に書かれているように、この寺院が筑紫国地震によって倒壊したと説明がありました。平成12年に国指定史跡になったそうです。
天満稲荷神社を出て上岩田遺跡に向かいました。
上岩田遺跡は、上岩田工業団地の造成に伴う発掘調査が行われた時に発見されました。調査の結果、7~9世紀前半を中心とする古代の役所・寺院及び集落遺跡だったそうです。この上岩田遺跡の役所は、小郡官衙遺跡の役所の前身になるそうで、朝鮮半島の白村江の戦いで敗戦した大和朝廷が防衛上、筑紫国の軍事強化と支配強化を強めた重要な拠点だったそうです。

▲『ふるさと小郡のあゆみ≪改訂版≫』より引用
参道から楼門に入る手前に地蔵菩薩と観世音菩薩が祀られていました。その小祠の中の地蔵尊がいぼとり地蔵で、霊験あらたかだそうです。霊鷲寺の山門には「瑞松山」の額が掲げられ、菊の御紋、葵紋と楼門を建てる際に寄進した三原家の紋が並んでいます。
山門をくぐると右手に大さざんかが流麗な白い花を咲かせていました。その大きさに参加者の皆さんは感嘆の声を上げられました。
陽ざしが強くなり道中だいぶ暑くなってきましたが無事に霊鷲寺の入口に着きました。
参道入口に下馬石があります。これは、参勤交代のために各地の大名が、お寺の前を通る時に駕籠や馬を降り、ひざまずいて拝礼する場所だったそうです。
霊鷲寺には、天皇家菊の紋、徳川家葵の紋が使われていたので、大名たちは下馬石の前でひざまずいたのだろうと言われています。
霊鷲寺を出て、薩摩街道沿いを松崎宿に向かい、松崎宿北構口に着きました。ここは南構口と同様に小郡市の指定史跡になっています。道の両側に縦横二間四方、高さ一間の石垣が築かれています。江戸時代には、木戸や番所があったと伝わります。
北構口から松崎宿歴史資料館に向かいました。ここには二階建て洋館造りの建物と松崎宿歴史資料館があります。資料館には旅籠油屋で使われていた貴重な資料がたくさん展示され、昔を偲ぶことができる説明がありました。

松崎宿歴史資料館から直ぐの所に上町のえびす像と、その横にある石盥盤(せきすいばん)に来ました。上町のえびす像は市内でも珍しい浮彫のえびす様です。その右手にある石盥盤(せきすいばん)はハート型のようにも見える形をしていて、本当に江戸時代からあるのだろうか、とさえ思われる独特な雰囲気があります。
予定より少し遅れて12時半ころに松崎宿旅籠油屋にゴールしました。参加者みなさんの熱心さに、説明者の案内が長くなり定刻より少し遅れましたが、途中でリタイヤする方もなく楽しいハイキングでした。