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新着情報


・平成 29 年度
福岡県こども囲碁交流大会並びに初心者入門教室参加者募集
夏休み親子体験教室「糸つむぎ&機織り教室」終えて
ぼくたち・わたしたちのふるさとおごおりの歴史 ~目指せ ジュニア歴史博士!~
甘鉄でGO! 「親子でローカル鉄道 探検・体験ツアー」
立石小学校 ~松崎宿をたずねて~
平成29年度 NPO小郡市の歴史を守る会 社員研修 
小郡大刀洗散策のための榜示杭風道標

・平成 28 年度
小郡ふるさと歴史検定表彰式
松崎油屋の保存と活用を考える会 研修会
大刀洗・小郡散策ハイキングについて
埋蔵文化財調査センター友の会 歴史探訪研修ツアー
そば打ち講座体験
「おごおり四季彩々」について
松崎宿案内 味坂小学校六年生
平成28年度 NPO小郡市の歴史を守る会 社員研修
ひな祭りを終えて
おごおりんぐ Walking×おごおり 薩摩街道 in 筑後松崎
門司港研修を終えて

・平成 27 年度
稲次因幡正誠をたずねる街道ツアーに参加して
長崎街道 6人旅 道中記 ⑥
小郡官衙遺跡を守る会 視察研修
油屋解体見学会
長崎街道 6人旅 道中記 ⑤
長崎街道 6人旅 道中記 ④
長崎街道 6人旅 道中記 ③
小郡官衙遺跡遺跡公園 3保育園グラウンドゴルフ大会
長崎街道 6人旅 道中記 ②
長崎街道 6人旅 道中記 ①
長崎街道 6人旅 道中記
旅籠油屋主屋の復原工事に伴う見学について
中油屋での和装・礼法教室
会員研修会を受けて
松崎油屋の保存と活用を考える会 研修会
七夕神社 恋人の聖地モニュメントがグレードアップされました
七夕の里振興協会 神社研修

・平成 26 年度
小郡官衙にトイレと展望台ができました!
中油屋開門セレモニー
埋蔵文化財調査センター友の会 歴史探訪研修ツアー
市内薩摩街道散策マップができました
おごおり街道七物語 案内板設置のお知らせ
おごおり街道七物語モニタリングツアーを終えて
おごおり街道七物語in松崎ジュニアツアーを終えて
立石小学校~松崎宿をたずねて~
小郡官衙遺跡遺跡公園 3保育園グラウンドゴルフ大会
おごおり街道七物語について(仮称)
中油屋もちまき
小郡官衙遺跡遺跡発掘現場説明会
七夕神社 織姫・牽牛石像完成
平成26年度 NPO法人小郡市の歴史を守る会 社員研修
松崎油屋の保存と活用を考える会 研修
油屋おひなまつりを終えて

・平成 25 年度
「薩摩街道を歩く」モニターツアー 道中記
埋文センター友の会研修
七夕の里振興協会研修会
そば打ち体験
松崎宿をたずねて
小郡官衙遺跡公園 3保育園児グラウンドゴルフ大会
七夕神社 太陽の光を浴びて光る石でつくる『天の川』
旧松崎旅籠油屋ひなまつり

・平成 24 年度
NPO法人小郡市の歴史を守る会設立記念講演会
埋蔵文化財調査センター友の会 歴史探訪研修ツアー

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ブームにのって

  11月26日(水)に黒田官兵衛(如水)とゆかりのある、豊後の「杵築・大分・別府」を巡る歴史探訪の研修会を実施しました。

  今回の史跡の見どころは、秀吉の時代、黒田官兵衛軍の救援で落城を免れた杵築城をはじめ島津氏の侵攻で焼失した大友氏館跡、さらに黒田軍VS大友軍と熾烈な戦いを演じた別府・石垣原古戦場跡に足を運びました。

  杵築では杵築市文化財の担当者から、杵築藩の歴史と「杵築城藩主御殿発掘調査」の概要と現況を説明して頂きました。その後、江戸時代の風情が今なお残っている高台の武家屋敷群を郷土史研究家のガイドさんにご案内していただきました。ガイドから杵築城の時代背景を時系列に深堀して説明して頂きましたので、大変わかりやすく歴史を身近に感じることができました。 ...

  大分の大友氏遺跡体験学習館では、学芸員から大友氏館跡の概要や府内の歴史について研修をうけました。その後、近くの現場では大友氏館の庭園跡の概要と調査状況について発掘調査に関わっている大分市の学芸員から説明がありました。3年~5年後にはもっと庭園跡の詳細が分かってくるでしょうと言っておられました。

  別府では、大友軍と黒田軍が激戦を演じた石垣原古戦場跡(南立石公園)に足を運び公園内にある石垣原合戦の説明板を読みました。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の石垣原合戦場面の放映を翌々週に控えていたこともあり、一日も早く番組を見てみたいという気持ちに駆られました。

----杵築散策コース----


☛黒田官兵衛と杵築城(木付城)、石垣原の戦い

  杵築は豊後・国東半島南側の海岸沿いにある城下町です。市のシンボルである杵築城は、北に八坂川、南に高山川、その挟まれた間の河口の丘陵の上に築かれています。

  黒田官兵衛(如水)は秀吉の没後、天下をめぐり混沌とする上方の情勢を豊前中津で見つめていました。徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)の対立が深まると、「関ヶ原の戦い」の前哨戦が始まります。官兵衛は石田三成挙兵の報を受けるや九州の西軍攻略のため直ちに豊前、豊後で行動を起こします。

  1600年9月、細川忠興(東軍)の飛び領地であった豊後・杵築城(守将は松井康之)が、豊臣秀頼から豊後の旧領を約束(回復)された大友義統(よしむね)(西軍)に、明け渡しを求め攻められますが、松井康之は籠城して徹底抗戦をします。

  陥落寸前の状態となっているところに、援軍の要請を受けた黒田官兵衛(東軍)は2千~3千の軍勢を派遣します。黒田軍の接近を知ると大友軍は別府まで退却します。その後、追撃する黒田軍と大友軍が別府の石垣原一帯で激突します。

  戦況では、緒戦は大友方が有利に戦闘を進めるものの、数に勝る黒田・細川軍勢の奮戦により、吉弘統幸(むねゆき)ら大友方の有力武将が討死して勝敗が決しました。敗れた大友義統は捕えられ、旧領回復の願いはかなえられず、豊後大友400年の歴史は別府の地で完全に幕を下ろすことになりました。なんと、この「石垣原の戦い」は、関ヶ原合戦の2日前の事でした。

 

※東軍、西軍の混乱で杵築城にふたりの領主が存在。

  秀吉亡き後、東軍と西軍の対立が激しくなり、西軍側(豊臣秀頼)総大将となる毛利輝元より、大友義統に豊後旧領を回復するという条件で西軍へ取り込みます。そのため、杵築城は細川忠興と大友義統と二人による領有権の争いになりました。

 

☛大友氏館跡とは

  大友氏は鎌倉時代から豊後国の守護をつとめ、のちには北部九州を支配する戦国大名になりました。その大友氏の本拠地は「府内」と呼ばれ、大友氏の館はその中心に位置していました。府内の町は義鑑(よしあき)(第20代)、宗麟(そうりん)(第21代)、義統(よしむね)(第22代)の時に最盛期を迎えましたが、秀吉の時代の1586年、薩摩の島津義久は大友を滅ぼすべく大軍を豊後に侵攻してきます。そして、大友氏の本拠地府内にも攻め込み、大友氏館は府内の町とともに焼失してしまいました。 

  余談になりますが、官兵衛と大友義統とのかかわりを申せば、九州制覇を目指す島津氏は、さらに大友氏の支配地である筑後、筑前へと進撃します。島津軍の侵攻が激しさをますと、大友宗麟、義統はとても防衛できず秀吉に救援を求めました。秀吉は、島津氏と大友氏に対し停戦を命令しましたが、島津氏が拒否したことから島津征伐(九州攻め)に踏み切ることになります。

  そして、黒田官兵衛は秀吉本隊の出馬に先だって1586年10月、九州平定の軍監として九州に乗り込んできます。秀吉の九州攻めは、軍艦・黒田官兵衛の活躍もあり島津側は降伏しました。翌年、黒田官兵衛は論考行賞で豊前国、12万5千石が与えられ、中津城の築城をはじめることになります。大友義統には豊後一国と豊前の内で宇佐半郡が安堵されました。

  その後、大友義統は文禄の役(1592年)で朝鮮に出兵しますが、明の大軍に囲まれた小西行長の援軍要請に対し、行長が戦死したという誤報を信じ込んで撤退します。戦場を放棄したため秀吉が激怒し、豊後領は没収され改易処分となり毛利氏に預かりとなりました。

  吉亡き後、東軍と西軍の対立が激しくなると、大友義統は西軍に着くことになります。島津攻めの時に大友を助けた官兵衛と敵対することになりました。

  大友氏館跡は平成10年に大規模な庭園遺構が発見されたことがきっかけで池や庭園・建物跡、旧万寿寺跡などが、「国の史跡」に指定されています。現在でも史跡整備のための発掘調査を進めています。その大友氏館は一辺200mもの四方の広大な敷地に築かれていたことが確認され、西日本でも最大級の館だったそうです。

                             埋蔵文化財調査センター友の会  岩佐 隆治

大分市教育委員会 文化財課 資料より

---酢屋の坂---

---藩校の門---

---きつき城下町---

---大友氏館跡発掘現場---

---志保屋の坂---

---杵築城---

---大友氏館跡 看板---

---大友氏館跡発掘現場---

 
 

---昼食・・・若松屋(創業300年) 鯛茶漬うれしの膳---

 「杵築、大分、別府を巡る歴史探訪」

 史跡めぐり旅日記

 

  太宰府市在住の私は朝から頑張って早起きして、集合場所の小郡市の埋蔵文化財センタ-に向かいました。7時半くらいに着くと、すでに先着の参加者がいましたが次々と集合し予定通り8時に出発しました。

  大分高速道・小郡ICから約2時間で杵築ICに着きました。最初に探訪したのが、「きつき城下町資料館」で、ここでは杵築城や城下町についてのお話を聞きました。NHKの大河ドラマ「官兵衛」がいよいよ佳境に入って官兵衛と杵築の関係が気になり熱心に聞きました。個人的には映画「蜩の記」を見ていたのでこの資料館にも置いてあった、七島藺にも関心がありました。

  また、その後、大原邸や能見邸など武家屋敷群を幾つか紹介していただきましたが、そのなかで、中根邸は主人公の戸田秋谷と因縁の深い家老中根兵右衛門のモデルとなった人物が、住んでいたところだと教えてもらった時は少し興奮しました。

  周りの紅葉が一層輝いて見えました。そして、なんと言っても南台武家屋敷と北台武家屋敷を結ぶ高低差のある酢屋の坂、塩谷の坂の曲線美は絶景でした。杵築で食事をすませ、次は大分市に向かいました。

  大分では、鎌倉時代から続く名家、大友氏の屋敷跡に足を運びました。屋敷跡のすぐそばには旧万寿寺跡地があります。その広大な寺院跡にある大友氏館跡体験学習館では福永学芸員から大友氏舘の歴史等々についてのお話をお聞きし、その後、遺跡の発掘現場へ案内してもらいました。

  大友宗麟、義統親子ゆかりの館跡や庭園跡の発掘調査の様子を生で見ることができて大変良かったです。発掘調査員の説明によれば、大友氏の屋敷跡の調査を始めるにあたっては、既に建っていたマンション三棟を移転したと聞いて、そのスケールの大きさに驚きました。 このまま調査が進展していけば、時期的に東京オリンピック後くらいには、邸宅や庭園が復元されているかもしれませんね。出来れば親子の生涯をテーマにNHK大河ドラマになっていれば嬉しいと小さな声で言っておられました。

  そして、大分を後にして別府へと向かいました。最後の探訪地である別府・南立石公園にマイクロバスは停まりました。この場所は、別府ICの近くにありますが、官兵衛と大友義統軍が激突した「石垣原古戦場」の跡地の一部です。この石垣原の戦いは、「九州版・関ヶ原の戦い」といわれ、多くの有力武将が討死しこの地で大友軍が降伏することになる戦いでした。そして名家の大友家も滅亡してしまいます。

  我々はその場所に立つ事が出来ました。ここの場所から少し鶴見岳の方に大友側の本陣跡や義統が剃髪した海雲寺があるのですが、今回は時間がないので、次回の楽しみにすることにしてマイクロバスに乗り込みました。

  いよいよ帰路につきます。途中でお土産を買うために、大分道の別府湾SAに立ち寄りましたが、陽が落ちるのが早く、薄暗くなった小郡に7時前に着きました。

  皆んな、素晴らしい探訪のプランを立ててくれた担当者に感謝しながら、12月7日の官兵衛の放送「石垣原の戦い」を楽しみに家路に着いた。

                                    埋蔵文化財センター友の会  野田 理

---中根邸---

---大友氏館跡発掘現場---

---石垣原の戦い跡---

---石垣原の戦い跡 看板---