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媛社神社(七夕神社)の獅子追い
 
 令和元年8月7日(水)に媛社神社(七夕神社)の獅子追いが行われました。
 当日、わたしたちは午前4時半過ぎに媛社神社に到着すると、既に神主さん、地元の方々は神殿近くに集まっていました。祭壇には七夕すいかと赤い雄獅子・黒い雌獅子、お神酒、鯛などの供物が祀られていました。
 
 
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  午前4時50分から本殿内で神事が執り行われました。本殿内には地元区長さんら区役員、神社総代さんたちが、幣殿には小学生・中学生と青年たちが上がりました。時期は真夏ですが、早朝ということで境内は少しひんやりとし、凛とした空気の中で厳かに神事が続きました。

 
 
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  修祓の儀、祝詞奏上、各年代の代表者による玉串拝礼と続き午前5時13分に祭儀は終了しました。この神事により祭神が獅子に乗り遷ります。

 
 
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 青年たちによって神殿から出た獅子と子どもたちは、大崎の町に出る前に勢いよく媛社神社の神殿を三回廻ります。全力疾走で廻るその姿は迫力があります。

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  媛社神社の獅子追いは2頭です。獅子1頭に大人がふたりつく「二人立ち」といわれる形式ということ。獅子頭を被ることはなく手に持ち、また後ろの人は獅子の胴体(布)を肩に掛ける形式であることも特徴として挙げられます。

 
 

  大崎地区の氏子さん宅を廻る際には、先頭を小中学生2~3名が行き、獅子よりも前に訪問する家を訪れ、挨拶をした後に榊を水につけて玄関先を清め、塩やイリコなどを配ります。神主さんが玄関先で祈祷を上げたのちに、獅子2頭が獅子頭を打ち鳴らしながら入ってきます。その時に青年たちから、小中学生へ「追えー!追えー!」と大きな掛け声が発せられます。2頭の獅子の勢いと子どもたちの勢いが、悪いものを蹴散らしてくれるように感じます。

  氏子さんは、ほとんどの方が玄関で正座して獅子を待ちます。氏子さんが女性の場合は赤獅子が、男性の場合は黒獅子が、頭を噛みます。

 
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  大崎の獅子追いは神社から出発し、まず初めにいつも決まったお宅にお邪魔するそうです。今回も稲吉橋近くのそのお宅が始まりでした。獅子たちは家の中に入り込み、接待を受けます。子どもたちにも色んなご馳走が出されていました。これから各家を廻るための朝の腹ごしらえのようでもありました。こちらの家のご主人から「昔はがめの葉饅頭なども出していましたよ」とうかがいました。

 媛社神社の氏子は121軒あり、そのほぼすべてのお宅を獅子たちは廻ります。早朝から始めても最後の家まで廻るのは夕方近くになるそうです。

 今回は時間の関係上「初七夕」のお宅を訪問できませんでした。そのためにも、またの機会に参加させて頂こうと考えています。

 

<江戸時代から伝わる獅子追い(七夕神社)>

~8月7日 無病息災の祈りを込めて ~

 
 獅子追い参加者全員が神殿にあがり、お祓いが太鼓の合図で開始され、皆低頭し祝詞をあげる。神主が神を呼び出し、神殿から獅子へと遷霊する。遷霊の後、役員、青年、中学生、小学生の順に玉串を奉献する。神主による祝詞奉上を行い、拝殿から外に出て2匹の獅子頭にお祓いをした後、神社のまわりを3周まわってから各氏子の家に向けて鳥居から出て行く。
 神社でお祓いを済ませた塩と米とイリコ、そして神社手水舎井戸から汲んできた水(昔は宝満川から汲んできた)を神社境内の杉の葉で訪れる家の玄関に、お潮い役の小学生がまき、神主が入ってお祓いをし、その後子ども達に追われた獅子が勢いよく家の中に入る。その家の女性の頭はオスの赤い獅子が、男性の頭はメスの黒い獅子が噛む。
 小学1年生(初七夕)のいる家では、「七夕さま」と書いた掛け軸を飾り、その横には短冊の下がった笹を、下には七夕スイカを置く。かつては全ての氏子の家で家の中を 3回まわったあと接待にあずかっており、出される料理は、よど饅頭、柿の葉ずし、干し鱈の煮付などであった。朝5時の出発から夕方5時位までかかっていたが、現在は神社役員と小学生1年生の家のみ接待にあずかっている。ただし、1年以内に不幸があった家には現在も昔も変わらず獅子追いは行わない。
 家をまわり終わったら神社に戻り、神社のまわりを3周まわった後に神殿にあがると、まず祝詞を上げ、お祓いをし、神を神殿に遷霊した後、再び玉串を奉献し、神事の終了となる。