2014年7月6日(日曜)に、松崎の天満稲荷神社の獅子追い祭が実施されました。この日はあいにくの雨でしたが、それに負けることなく天満稲荷神社の氏子さんをはじめ、子ども会の子ども達と保護者、そして近くの三井高等学校柔道部の生徒達が朝の7時には神殿の北にある祇園神社の前に集まっていました。その数は予想よりも多く、40人を超えていたように思います。服装は背中に大きな花や小さい子どもは「祭」の文字が描かれた法被を羽織っていました。そして腰には前日に氏子の皆さんで用意したという細い注連縄を結んでいました。この腰に注連縄を結ぶのは厄除けのおまじないのためというお話を聞きました。主役の獅子頭4頭は、境内の祇園神社の祠の前に並べられており、祠の回りには注連が張られ、さらに獅子頭の奥には神饌が供えられていました。
神事は7時30分頃から始まり、神職による祝詞奏上や各地区の代表者による玉串奉納、獅子頭へのお祓いなどが雨の中厳かに行われました。神事が行われるといよいよ三井高校の生徒達が獅子頭を二人一組で担ぎ、一度掛け声の練習を全体で行ってから神社を出発します。この掛け声とは、参加者全員で息を合わせ「いおうてさんごん」と叫んだ後、手拍子を3回するものでした。この手拍子のとき、獅子も頭を上げて口を開け閉めして「コン・コン・コン」と音を3回響かせます。
獅子は二頭一組となり、松崎行政区の北と南に分かれて回っていきます。このとき回っていくルートは基本的には昔の薩摩街道に沿っていましたが、一軒一軒の家やお店を回って行くため、その道から外れることもありました。獅子の行列の並びとしては、先頭に榊と水の入った桶を持った子ども二人、次に獅子が二頭並んで続き、その後ろに子ども達と保護者や氏子さんなどが続きます。先頭を歩く子ども二人は、獅子よりも前に訪問する家を訪れ、挨拶をした後に榊を水につけて玄関先を清めます。その家の人は玄関を開けて次にくる獅子を出迎えます。獅子と子ども達はその家を訪れて玄関先で掛け声と手拍子を行い、一礼をして次の家へ向かって行きます。次にお神酒と塩、イリコをお盆に載せて運ぶ係りの方がその家の家主(代表)にそれらを配って次の家にいくのがこの獅子追いの一連の流れのようです。また獅子と子ども達が玄関に向かう際には、走っていくのが通例であったということです。さらに近年では半日で終わるこの獅子追いですが、昔は一日がかりで松崎中を回っていたというお話もお聞きしました。
私たちは今回、松崎の北を巡る組の行列に参加させていただきました。北組は、7時46分頃に天満稲荷神社の鳥居をくぐって出発しました。子ども達も雨にも関わらず元気に歩き始めました。行列は神社を出て、三井高校の校舎の前を通り、上岩田の方へ進んでいきます。そして松崎駅の方向へ進み、そこから更に北の霊鷲寺、最北で田中常緑園まで向かいます。最北まで行くと、そこから折り返し、霊鷲寺の前の旧薩摩街道の道を進み、松崎宿のある方向へと向かいます。そして桜の馬場を通って天満稲荷神社へと戻ってくるのです。
9時ぐらいに霊鷲寺の辺りを歩いている頃には、子ども達に疲れが見えはじめていましたが、大人達に応援されながら頑張って歩いていました。また霊鷲寺でも三拍子を行っており、霊鷲寺と地域の関係性の強さを感じました。松崎の油屋に獅子の行列が着いたのは10時50分頃で、そこでも元気な声を聞かせてくれました。
▼旅籠油屋に来てくれた獅子たち(動画)
そしてまもなく北組も到着し、北組の獅子2頭を先頭に、北組南組で天満稲荷神社神殿前にて掛け声と三拍子を行い、一礼をして獅子追いは無事に終了しました。その後11時50分頃から直会が始まりました。
今回、獅子追いを見るという事は貴重な体験でした。この獅子追いで驚いた事は、参加者が多く、また回る家々の人たちも獅子が来るのを楽しみにしている様子が見られたことでした。先頭の子ども達二人が来る前から遠くからの声が聞こえたのか、玄関先に出てきて待っているお宅もありました。また、子ども達がゆっくり歩いていると、「急げー!」と急かす氏子のおじさん達も道中笑顔が多く、このお祭りを楽しみにしているということが伝わってくるようでした。獅子を担いで歩く三井高校の生徒は、柔道部の一年生から三年生で、その中には松崎地区の出身ではなくて今年初めて参加したという生徒もいました。彼らは「雨だったので、早く終わって良かった」「また来年も参加したいと思います。」などと大変だったという声もありましたが、楽しかったという声を多く聞かせてくれました。
昔の獅子追いは青年団によるもので、女性はもちろん参加できる行事ではなかったとお話を聞きました。それが近年では人手不足という事もあり、高校生や小学生たちが男女問わず参加しています。このように参加条件などに変化はあるとしても、昔から行われてきた地域の行事の一つとしてぜひ、今後とも続けていって欲しいと思いました。
▲写真(10枚程度)が一定の時間で入れ替わります▲
最後に今回の取材に快く応じて下さった松崎地区住民の方々や、三井高等学校の生徒さん・先生方に深く感謝いたします。
取材を終えて
松崎天満稲荷神社の獅子追いの特徴として挙げられるものは、獅子一頭につき2人必要な「二人立ち」といわれる形式ということです。その中でも獅子頭を被ることはなく手に持ち、また後ろの人は獅子の胴体(布)を肩に掛ける形式であることも特徴として挙げられます。また他の地区の獅子舞と比べて楽器などを用いず、掛け声と手拍子だけというのも珍しいのかもしれないと思いました。
獅子追いを行う目的としては、無病息災・五穀豊穣といわれていますが、この松崎天満稲荷神社の獅子追いについては、獅子追いの中で出てくるいわゆる「厄除けグッズ」の多さから無病息災の意味合いが強いように思われました。それは何かというと、まず主役である獅子はそのいかつい表情から悪いものを威嚇する、魔よけの生き物と考えられています。そのため、玄関先で3回、口で音を出すということは、獅子がその家の悪いものに対して威嚇をし、追い払うという行為だと考えられます。
また各家の人に配る塩とイリコですが、塩は相撲の場面で場を清める際に使われたり、盛り塩を玄関先に置くなど、清め払う役割を持ったものであると考えられています。昔は病気の原因が悪霊などによるものだと考えられていたので、ここで塩を舐めると言う事は病気にかからないようにするという行為であると考えることができます。そしてイリコについてですが、西日本でイリコというと基本的には鰯の煮干といわれています。鰯と言えば、節分の日に柊の葉と一緒に鰯の頭を玄関先に飾っておくという風習が全国的に見られますが、これもまた悪いものが玄関から入ってこないようにするおまじないでした。さらにイリコ自体には栄養が多く含まれており、これからの夏を越えるための準備の一つとしてイリコを食べるという行為が昔からあったのかもしれません。
そして最後に、参加者全員が腰に巻いていた注連ですが、これも厄除けのおまじないという話を聞きました。この腰に巻く注連には芽の輪との関連がある可能性があります。それは「蘇民将来」の話にあるように、茅の輪を腰に巻いておけば災厄から逃れることができるという信仰で、『備後国風土記』に記載されているほか、祇園神社の縁起としても語られています。今回の獅子舞が松崎天満稲荷神社内にある祇園神社の祠の前から始まったことと少し関連性があるように思われました。祇園神社は、京都の八坂神社を総本社とし、スサノオノミコトを祭神とした神社です。このスサノオノミコトは、日本神話の中では神々が住む高天原で大暴れして追放されたり、暴れるヤマタノオロチを退治したりなど、荒々しくも英雄的な性格を持つ神です。そして蘇民将来の話に出てくる、蘇民一族の無病息災を約束する神でもあります。これらのことから、スサノオノミコトは厄除けや無病息災の御利益があると信仰されています。松崎の天満稲荷神社境内にある祇園神社は、明治期の神仏分離の際に、霊鷲寺境内にあったものを天満稲荷神社に移したといわれています。霊鷲寺の尊仏は薬師如来もあり、これは病気などから守ってくれる仏様です。このようにどちらも厄除け・無病息災の性格をもっており、それらが同じ境内にあったとしてもあまり疑問がありません。これは想像でしかありませんが、松崎地区で行われる獅子追いは、現在でも霊鷲寺にも寄っていることから、もとは祇園神社の行事であり、霊鷲寺から移ってからも続いている可能性が考えられます。これらについては今後の調査に期待したいところであります。