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平和の道 ハイキング

 どこまでも遠く広がるようなパステルカラーの青空と、陽を浴びて背伸びをしているような柔らかな緑が目に鮮やかな3月27日(木)、地元ボランティアさんが行う「平和の道」ハイキングに参加してきました。

 太平洋戦争において大刀洗飛行場が爆撃の対象となり、昭和20年3月27日と31日の2回にわたって空襲をうけ、飛行場は跡形もなく破壊されました。この空襲では小郡でも多くの犠牲が出ており、特に大刀洗方面である小郡市東部には防空壕や銃弾痕などがいまだに残り、平和を誓った碑も立てられています。

 小郡史跡案内ボランティアの解説と共にまわるハイキングは「平和の道」以外にも7コースあり、小郡市教育委員会(小郡市埋蔵文化財調査センター)の協力のもと毎年5、6回行われています。大抵が休日に開催されますが 「平和の道」コースだけは毎年空襲のあった3月27日に実施されています。

 

集合・開式

 

  集合場所は、甘木鉄道「今隈」駅。前日からの雨も上がり、見事な青空が広がりました。

  平日にもかかわらず20人ほどの参加者がおり、受付で名札をもらうとそれぞれ3つの班に分けられました。私たちは1班で、同じ班には他に7人の方がいました。

 

 9時25分から濃紺のちゃんちゃんこを着たボランティアさんによる説明が始まり、代表の方と教育委員会の方から挨拶がありました。

 

出発・散策開始


 

 

 駅前での説明を終え、1班から順に出発。濃紺のちゃんちゃんこと、「1」と書かれた旗の後に続いて歩き始めました。
 今隈駅から北西の方への道を行くと、道中には造園用の植木が生え並ぶ場所があり、近くを歩いていた方が咲いていた綺麗な花の名前を教えて下さいました。

更に行って県道53号線を横断すると、道の北側に黒い本のような石碑がありました。そこには「立石 平和の碑」と書かれており、綺麗な花やお水などが供えられてありました。「ここは昭和20年3月27日に爆撃があり、立石国民学校の学生3人が亡くなりました。」そう説明するボランティアさんの声に、参加者の皆さんはじっと耳を傾けていました。
 平和の碑を通り過ぎて三軒茶屋の交差点で右折北上すると、正面に見えてきたのは立石小学校と立石中学校。その立石中学校の手前にある空き地に入ると、そこには鉄パイプで囲まれた奉安殿(※「御真影」と呼ばれていた天皇・皇后両陛下の写真と、その頃の教育方針を記した「教育勅語」が納められていた建物。戦争中の児童たちは、毎日登下校の際に「奉安殿」の前で最敬礼をしていたそうです)が立っていました。

ボランティアさんの説明によると、終戦後も撤去を免れ、立石村役場の倉庫として使われていたとのこと。道を挟んだ立石小学校の体育館西には奉安殿の台座も残っており、参加者からは「そのまま残っているもんだねえ」と驚く声が上がりました。

立石中学校北側にある細道を通って再び53号線へ出ると、手前にあったコンビニエンスストアで一時休憩。その後53号線を横断し、一行は畑や空き地の間を通る野道へ。周囲には民家も少なく、道端に咲くオオイヌノフグリやこんもりと構える花立山の景色に目を細め、上空高くから響いてくるヒバリの声に耳を傾け、甘く香しい菜の花の薫りを胸いっぱいに吸い込みました。本当に絶好のハイキングコース、そして最高のハイキング日和でした。

花立山の中へ足を踏み入れると、春にしては少し強かった日差しが遮られ、ひんやりとした空気に包まれました。前日の雨のせいか湿って柔らかくなった枯葉や栗のイガを踏みしめながら進むと、道のすぐ傍にいくつかの大きなくぼみが現れました。枯葉やシダ植物などで見えにくくなってはいますが、人がすっぽり入り込めそうなほど大きなくぼみです。ボランティアさんの説明によると、戦時中の花立山には近隣住人のものだけではなく、陸軍関係のものも含め、防空壕が多数掘られていたとのこと。中には20mほどのトンネル状のものもあったそうです。

折り返して下山し、アスファルトで舗装された道を進むと、山隈の集落へ着きました。集落内の曲がり角で立ち止まると、目に飛び込んできたのは幹が大きく割れた木。話によるとそれはヤマモモの木であり、昭和20年3月31日の空襲の際に被弾したそうです。爆弾によって大きな傷を負ってから69年、今もなおその傷を残しながらも力強く生きているその姿に、思わず頭を下げたくなりました。この集落には他にも被弾した木が残っているそうです。

ヤマモモがある角を左折して北上すると、少し進んだ所に比較的新しい祠がありました。祠の中に祀られていたのは、光背の欠けた釈迦像と、首に割れ目が残る観音像。3月31日の空襲の際に当時の薬師堂が爆撃を受け、安置されていた観音像と釈迦像も被災したとのこと。ちなみに観音像は爆撃によって頭部が失われ、後年になって500mほど離れた場所で発見されたそうです。傷ついた観音像と釈迦像を安置されたこの観音堂は、平成20年地元の人たちが戦争の悲惨さを後世に伝えるためにとつくられ、2つの仏像が空襲の激しさを今に伝えています。

傷ついた観音像と釈迦像についての説明を受け終わると、一行は集落を抜け、解散地点である甘木線「山隈」駅へと向かいました。

 全長6.0km、2時間30分ほどの行程でしたが、距離を感じさせないほど気持ちの良いハイキングでした。そして何より、この小郡市にこれほどまでの戦争史跡が残っていることを知り、色々と考えさせられました。

 次回のボランティアハイキングは「合戦の道」をテーマにしたもので、4月29日(火祝)に行われるそうです。
 中世南北朝の戦いである大原(大保原)合戦、その史跡を巡るハイキングに是非皆さんも参加してみませんか?

参 考:平和の道ハイキングマップ(©2014 Google, ZENRIN)