大中臣神社(小郡市福童555)
粥占神事日毎に暖かさを増し、花の香りを乗せた風が穏やかに木々を揺らす2014年3月11日(火)、小郡市福童555所在の大中臣神社で行われる粥占神事へ取材に行ってきました。
大中臣神社は天平12年(740年)に藤原広嗣により創建され、嘉禄2年(1226年)現地へ遷宮されました。天保6年(1835年)、現在の社殿が再建されたと言われています。祭神は天児屋根命(主祭神)、武甕槌命(脇祭神)、経津主命(ふつぬしのみこと)、三筒男命(脇祭神)。御神徳には病気平癒、災難除、武運長久などがあります。市指定文化財である楼門や、県指定天然記念物である将軍藤が有名です。
粥占神事がいつから始まったのかは定かではありませんが、例年3月11日になると一か月前にお供えした粥をお開きして福童地域の農作物の出来や災害を占っているそうです。
神事開始前
私たちが大中臣神社へ到着したのは10時50分のこと。神事開始は11時であり、神殿前には既に10数人の氏子の皆さんが集まっていました。全員50代以上と思われる男性で、スーツ着用。何か荷物を持っている様子ではありませんでした。外陣では白の官装束を身にまとった宮司さんが腕時計で時間を確認しながら歩き回り、時折神殿の階段下にいる氏子の皆さんと短く会話を交わしていました。
神事開始5分前、宮司さんが氏子の皆さんに向かって「そろそろ始めましょうかね」と声をかけ、神殿内陣へと誘導しました。
その場に居合わせた部外者(記録者と、脚立カメラを準備していた男性)へも「どうぞ」と声をかけ、外陣へと上がらせてくれました。
祭壇から見て内陣の右手(西)壁際に11名、左手(東)壁際に7名の氏子がそれぞれ胡床へ腰かけ、内陣の中央に宮司さんが立つという配置でした。開始時間まで数分あったためか、宮司さんは左手側の男性に向かって「あと誰が来とらんですか? まあ、あと2分ありますしね。電波時計だから狂いはなかですよ、待ちましょう」と話しかけていました。
11:00 粥占神事開始
(以下、記録者のメモより)
宮司、「これより大中臣神社粥占神事及び東日本大震災復興祈願神事を執り行います」と挨拶。
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宮司、祭壇へ向かって三礼。
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外陣にいた巫女「御低頭ください」と掛け声。
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一同低頭。
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宮司、祭壇へ向かって三礼。
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宮司、祭壇左手にある大麻を取り上げて氏子へ向かって左・右・左と払う。
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左右氏子の後、外殿にいる部外者(スーツ姿の男女)へも大麻を払う。
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外殿の後、本殿外へ向かっても大麻を払う。
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宮司、内陣へと戻り深々と一礼。
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巫女、祭詞奏上の旨を告げる。
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宮司、祭壇への階段を上って壇上で正座。
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巫女、「御低頭ください」と掛け声。
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宮司、祝詞をあげる
(途中、「福島」や「東日本大震災」という言葉あり)
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巫女、「御直りください」と掛け声。
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宮司、二拍一拝。
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巫女、「玉串拝礼」と掛け声。
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宮司、祭壇へ向かって二拝二拍手一拝。
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宮司、「では、JA三井殿」と声をかけながら
左手祭壇側に座っていた男性へ玉串を手渡す。
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(※左手祭壇側から外側、続いて右手祭壇側から外側へと 玉串拝礼が行われる)
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宮司、外殿へ「折角ですから奉納しませんか」と玉串を持って来る。
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全員の奉納が終了後、巫女の「御起立ください」という掛け声で立ち、深く一礼。
11:24 神事終了
神事が終了し、宮司さんが溌剌とした声で「じゃあ、御供え物を片付けましょうかね」と声をかけると氏子の皆さんたちはそれに従い、祭壇から外陣へと列を作ると、バケツリレーの手順で祭壇に奉じられていた供物を長机へと運び出しました。
供物の運び出しが終わると外殿中央に置かれていた机の周りへと集まり、「今年の担当者」と呼ばれた代表者3名が祭壇へと粥器が入った箱を取りに向かいました。
11:27 粥出し
外殿の机に箱が置かれ、取りに行った3名とは別の男性が紐をほどき、箱の蓋を開け、中に納められていた粥の白い器が現れると周囲は身を乗り出し、粥の表面を覆ったカビを見て「おお!」と口々に歓声が上がりました。「青かね」「こりゃ豊作やろ」「いかん、こりゃ今朝丸は流されるわ」「ほう、珍しかもんやね」などなど。宮司さんの説明によると、「黄色が出ているから今年は豊作になるだろう。しかし、黒が少しあるから水が多いかもしれない」ということでした。
11:39 氏子による直会
カビの観察がひと段落ついた後、氏子さんたちは楽しそうな様子で外殿の床へとゴザを敷き始めました。一面にゴザを敷き終わると人数分の紙コップ、個別包装された竹輪が等間隔で配られ、それぞれが決められた場所へと腰を下ろし、宮司さんも腰を下ろすと、全員で乾杯し、楽しげな雰囲気の直会が始まりました。