平成26年9月15日(月)敬老の日に松崎天満稲荷神社で「松崎の放生会」は行われました。当日朝、神官を招いての神事が行われ、午後7時から夜店や催事が行われると神社総代の方から教えて頂きました。
私たちが神社横の駐車場に到着したのは午後6時40分ごろでした。この頃には駐車スペースがかなり埋まっていました。
車を降りて桜馬場に出てみると・・・紙灯籠が松崎城跡の石碑から松崎天満稲荷神社まで、かなりの数が並べられており、初秋の夜に幻想的な灯りを放っていました。
稲荷神社では、氏子の皆さんが祭りのお世話をされていました。また、参道では焼きそば、ホルモン、飲み物等が販売されており、かなりの人で賑わっていました。ホルモンは桜まつりの時と同じく「ふじや精肉店」のホルモンです。
小郡市史第3巻に、松崎の放生会は「野舞台で氏子たちがこぞって演芸を披露する。また、くじ引きなどもあり、ふるさとの楽しい憩いの時である」と記されています。現在でも、神社が所有している舞台で色んな芸能が披露され、たくさんの人の目を楽しませてくれます。
「放生会奉納演芸会の様子」 ▲一定時間で写真(5枚程度)が切り替わります
プログラムを拝見したところ、19組108名の方が参加されており、この祭りが松崎地区でも最大級のイベントであることがうかがい知れました。夏の名残を惜しみ、収穫の秋を迎える時期の「松崎の放生会」。人々のエネルギッシュなパフォーマンスを楽しむことが出来た夜でもありました。
【放生会】
捕えた虫・魚・動物などの生き物を解き放って自由にする法会。殺生や肉食を戒める慈悲の実践として、ふつう陰暦の8月15日に行われる。その趣旨や因縁は「梵網経」や「金光明最勝王経」ほかの諸経典にみられる。とくに京都石清水八幡宮、鎌倉鶴岡八幡宮のものが有名。石清水では隼人征伐の滅罪のために始まったという。
(日本史小辞典 山川出版社)
鳥、魚を自然に帰す法会で、仏教の殺生戒に基づく。神事として旧8月15日各地の八幡宮で行われた。神社の放生会は、隼人討伐の敵味方慰霊の神託があり、720年(養老4)宇佐八幡宮で始まるといい、京都石清水八幡宮をはじめ全国に広がる。
(福岡県百科事典 西日本新聞社)
中世には、朝廷の宗廟となった石清水八幡宮を中心に、放生会が行われるようになっていく。九州の宇佐八幡宮が本宮であり、それは応神天皇と神宮皇后を祭神とする国家守護神であった。中世に移るにつれて、武神と救済神の性格を併せもつ神として、全国に八幡信仰が拡まった。宇佐八幡宮で放生会が始まった契機は、養老四(七二〇)年、大隅・日向の両国で朝廷に対する反逆が起こり、朝廷が宇佐八幡神を勧請した神軍として、隼人征伐を行ったことから始まる。戦の後に、八幡神から「此度の合戦に多くの人を殺しければ、放生会をなすべし」*15、という託宣が出されて、八幡宮の祭礼として放生会が毎年行われるようになった、という。
*15『男山放生会図録』、「放生会起」。
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.6