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新町獅子舞い
 
 

 平成30年7月22日(日)に新町獅子舞いが行われました。祇園祭は毎年7月の第4土・日曜日に行われますが、新町の獅子舞いも同じ第4日曜日に行われています。

 
 

 新町の獅子舞いは、江戸時代から続く伝統的な行事です。歴代の頭(かしら)*1によって受け継がれてきた獅子頭を保管する木箱には、「安政三辰年(1856)六月吉日」の墨書が残ります。安政年間には、東海道や江戸などで大地震が起きました。また、大老井伊直弼による安政の大獄(吉田松陰や橋本佐内らの投獄・処刑)や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)が起きた不安定な時代でした。『小郡においてもそのような世情不安定の中で疫病などが流行り、それを終息させるために魔除けの意味などを含んだ獅子舞いが行われるようになったのでないでしょうか。』と保存会の方に教えていただきました。

 新町の獅子舞いは、正月などに行われる踊り舞う獅子舞いではありません。踊り舞う所作はなく、地区の若者たちが二人で獅子を被り、雄叫びを上げながら町内の家々を巡る勇ましく激しいものです。保存会の方は「新町の獅子舞いは暴れ獅子なのですよ。」と言われます。幕末のような時代背景の中で、人々の不安を取り除き、魔除けや厄払いとして生まれた祭りだからなのかもしれません。

 

▲クリックすると拡大します。

※1頭(かしら)
 頭とは獅子舞いのリーダーのことです。現在、新町獅子舞い保存会には25名ほどのメンバーがおり、そのメンバーの取りまとめや指導を行われています。保存会が出来る前は、地区の有志だけで獅子舞いを行っていたそうです。往時は、新町にも大勢の若者がおり、その中で満30歳になった者が、頭になり獅子舞いを統括していたそうです。平成10年より新町区の区長さんや区役員の皆さんの協力も得ながら祭りを継続していると伺いました。
 

 私たちは、当日の午前7時過ぎに集合場所である祇園神社(正式名:素戔嗚神社 小郡市祇園1丁目-1-1)に到着しました。祇園神社の創建は、小郡市史によると、正平8年・文和2年(1353)と古く、疫病を除く神として近郷から崇敬信仰されてきました。小郡のメイン通りである国道500号線に面し、また、小郡小学校の前にあるので、市民にとっては馴染みの深い神社です。

 
 

 既に保存会や区役員の方が、祇園神社神殿の内外で準備作業を始められていました。神社本殿には本日の獅子舞いで使用する獅子頭6頭が置かれ、神事を待っていました。6頭のうち2頭は子ども用の獅子頭で、新町の山車とともに巡行します。ちなみに赤の獅子頭が雄で、黒が雌です。赤の獅子頭の方が黒の獅子頭より大きく重いです。

 
 
 

 また、獅子舞いに協力してくれる三井高等学校テニス部の生徒さんと先生、久留米市の祐誠高等学校の生徒さんも集まってきました。今年は三井高等学校から10名(男子8名・女子2名)、祐誠高等学校から4名(男子4名)の参加がありました。高校生たちも保存会の方々と同じように獅子舞いの装束に着替えます。午前8時には気温が既に29℃になっていました。

▲スライドショー 一定の時間で写真が入れ替わります

 午前8時10分頃に宮司さんが神社に到着され、8時20分頃から神事が始まりました。この神事は獅子頭の「霊入れ」のために行われます。まず、修祓の儀から始まり、始まりの一拝、斎主奏上、玉串拝礼などが執り行われ8時35分頃に神事は終了しました。神事には区長さんや区役員の皆さん、濃紺の法被を着た保存会や高校生、子ども会の関係者ら50名前後の方が参列しました。

 
 
 
 

  神事後に獅子舞いの作法についての確認が、幣殿にて行われました。参加した高校生たちは、真剣に保存会の方々による指導に聞き入っていました。

 
 

▲スライドショー 一定の時間で写真が入れ替わります

 
 

 いよいよ獅子舞いの出発です。まず、祇園神社の神殿を時計回りに1回まわって新町区へ繰り出します。

 
 

▲スライドショー 一定の時間で写真が入れ替わります

 

 国道500号線を渡り『平田家住宅』の前を通り西へ向かいます。

 

 ※豪商平田家住宅は、平成28年に市指定文化財となりました。指定されたのは、「主屋1棟」、「座敷4棟」、「門2棟」、「瓦塀1棟」で、これに付随した「主屋棟札1面」も指定対象となりました。

 
 

 次に下町の日吉神社に獅子舞いを奉納します。この場所では休憩を取りました。かなりの重さの獅子頭を抱えて時には走りながら、雄叫びを上げ、獅子頭を大きく振りかぶり獅子の口で音を打ち鳴らす所作はかなりの体力を使います。また、夏の暑い時期に行われるので、町の中の各所に休憩所が設けられていました。その数は10カ所を超えるかと思われる数で、いかに獅子舞いが新町にとって重要な祭りであるか実感できました。

 
 
 

 新町の獅子舞いは、踊り舞うことはしません。各家の玄関先で獅子頭の口で大きな音を打ち鳴らし、邪気を祓います。また、獅子に噛まれることによって厄除けになると言われています。特に小さい子どもは噛まれることで健康的に育つとされています。

 
 
 
 

  12時頃より昼食を休憩場所のお宅でいただきました。この頃になると、高校生若干名はかなり疲労困憊していました。(休憩をとって凡そ1時間後には元気になりましたのでご心配なく。)獅子舞の参加者たちは、昔からの慣習にしたがい足袋のまま、そのお宅のお座敷に上がります。お座敷はブルーシートなどで養生されていました。そのお宅から提供された食事や飲み物を頂きます。私たちも、お弁当や素麺、各種のデザートをいただきました。ありがとうございました。

  午後1時半頃に休憩を終え獅子舞いたちは新町の西側に回り始めました。この地域はマンションやアパートの多い地域です。マンションやアパートの場合は、その玄関先で獅子たちは雄叫びを上げ、獅子頭を打ち鳴らします。

▲スライドショー 一定の時間で写真が入れ替わります

 
 
   当日は、かなり暑く午後3時前に鳥栖基山方向に雷雲が立ち込めていました。すぐには小郡に来ないと思っていた矢先、丁度3時ごろにピカッと光った瞬間に「ドーン」という物凄い落雷の音がしました。その後も続けざまに近くに雷が落ちたために、休憩場所のお宅で20分程度雨宿りをさせていただきました。久しぶりの雷鳴に近くの飼い犬が驚いて逃げ出し、獅子舞いの一行に助けを求める珍場面もありました。(その後、このワンちゃんはお巡りさんによって飼い主に届けられました)カンカン照りが続いていたので、獅子舞が雷雨をもたらしたのかもしれないと思ったほど激しいカミナリでした。
   雷雨が通り過ぎて気温もグッと下がり、涼しくなりました。獅子舞いの一行も生き返ったように町内を走り回り、雄叫びを上げ、獅子頭を打ち鳴らします。
 
 
 
 

  午後3時45分ごろに「新町夏祭り本部」に到着しました。一息入れてまた新町を廻るのですが、新町を廻り終えた後に、上町の平田家、祇園1丁目の西鉄小郡駅、井上理髪店、田中耳鼻咽喉科にも立ち寄りました。最後の休憩所を提供された田中先生にお伺いしたところ「自分の祖父の代に新町に住んでいたと聞いています。」とのことでした。ここにも伝統を大切にする新町獅子舞いの特徴を感じました。

 

▲夏祭り本部

 
 

▲スライドショー 一定の時間で写真が入れ替わります    『平田家住宅』

 
 
 
 

▲最後の休憩所 田中耳鼻咽喉科

 

 最後に祇園神社へ戻ります。境内に戻る際に小郡小学校前の歩道橋に獅子舞いが上り、小郡の町々へ対して獅子頭を勢いよく打ち鳴らします。

 
 
 
 

 獅子舞いは祇園神社境内に最後の力を振り絞り雄叫びを上げながら突進してきます。ちょうどその時に午後5時を知らせるメロディーが流れました。

 
 

▲スライドショー 拝殿に向かい全力疾走する獅子舞いたち

 
 

 祇園神社へ獅子舞いが無事に行われた感謝のお参りをおこない、獅子舞いのお祭りは終了しました。参加した皆さんはこの後に連合公民館で慰労会が行われるとのこと。午前7時から午後5時までの長丁場、お疲れ様でした。

 
 
 
 
 
 
 江戸時代末から明治の初めまで小郡町は、櫨蝋業で莫大な富を得ていました。新町でも、「蝋屋(ろうや)」を営んでいた家が複数軒あったそうです。そのような背景も獅子舞を生んだ要因になるのかもしれません。
 現代社会は科学や医療が発達して、人間の知識を超える災い事が少なくなってきたようにも思えます。それでも、今年の豪雨災害や猛暑、抗生物質の効かない病原体の発生など、人間の力の及ばないものも数多くあります。「人間の知識・知恵を超えたものがある」という畏敬の念を忘れないためにも、また、地域の活力を持続させ「地域の絆や記憶をつないでいく」ためにも、新町の獅子舞いは続いてほしいなぁと感じました。何よりも参加させていただいて楽しかったです。
 最後に快く取材させてくださった新町獅子舞い保存会の皆さんと新町区の区役員の方々、新町区の皆さん、三井高校・祐誠高校の方々に感謝とお礼を申し上げます。
 

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【新町獅子舞保存会への参加】
 新町獅子舞保存会では、現在、広く会員を募っています。獅子舞いの企画・準備を行う役割や、勇壮な獅子舞いの担ぎ手など色々な役割で、伝統ある祭りに参加してみませんか?
連絡先:NPO小郡市の歴史を守る会 
    担当者(淺川) 0942-80-1920
(担当者が新町獅子舞保存会の代表者にお話をお伝えいたします。)