- 旧松崎旅籠油屋
- 小郡官衙遺跡
- 七夕神社
- 小郡市埋蔵文化財調査センター
- 平田家住宅
七夕神社は、大崎にある媛社神社の通称で、地元では「たなばたさん」とも呼ばれています。神社の歴史は古く、和銅6年(713年)に各国で作るように命じられた風土記(肥前風土記)の中にその由来が出てきます。以来、1,300年にわたって、地元の氏神さまとして信仰されてきました。
新暦8月7日の夏祭りが、神社の一番大きな祭典です。前夜の「よど」では、夕方から「子ども神輿」が集落の中を巡ります。翌朝早朝から無病息災を願って「獅子追い」が集落の中を回り、夜には境内に舞台が設置されて演芸会が開かれます。境内には全国から送られてきた短冊をつけた笹が飾られ、またたくさんの店も出て、多数の参拝者で賑わっています。現在、この社を保存し活用するために、七夕の里振興協会が結成され活動しています。
七夕神社の由来
風土記に書かれていたのは次のような物語です。
昔、姫方には悪い神がいて、旅人を苦しめた。そこでその正体を見極めようと宗像の珂是古(かぜこ)を招いた。悪い神は自分を祭れば悪い心は起こさないといった。そこで珂是古は自分に祭ってほしいと思うならば旗を飛ばすのでどこにいるかその場所に落とせと言った。珂是古は旗を飛ばしたのだが、それがこの地に落ちた。此れがこの神社の起源である。
また、旗は帰って行って姫方の地に落ちた。その夜珂是古が寝ていると夢に機織りの道具が舞うのを見て此れが女の神様であることを知った。そこで社を立てて祭ると旅人は無事に通れるようになった。
七夕まつり
※短冊の奉納についてのお問い合わせはコチラへ
見学案内
七夕神社一口メモ!
七夕神社に行かれたら、鳥居に掲げられた額をご覧ください。
額には二つの神社の名前が書かれています。
左側には「棚機神社」(たなばた神社)とあります。もう片方は「磐舟神社」(いわふね神社)とあります。
磐舟は、筑紫君磐井を討伐した古代の大豪族物部(もののべ)氏が信仰したものですから、この神社には、物部氏の強い影響があったことが想像されます。