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宿場町 松崎

<松崎宿を見てみよう>

 松崎藩の成立に伴い、参勤交代の道が横隈経由から松崎経由に変更となりました。延宝6年(1678)のことです。以来、松崎宿は徐々に整備され久留米藩の府中宿、羽犬塚宿と同様に駕籠・人足・馬が常時備えられていました。宿場には村と同様に庄屋、横目などの村役人がいました。また、街道筋の町並みを世話するものとして町別当がいました。

 宿場の南北両端には構口という石垣が築かれています。構口を宿場の中へ向かうと、道が直角に曲がる枡形道の名残も見られます。宿場には大名などが泊まる御茶屋(本陣)や二十数軒の旅籠をはじめ、様々な商家が立ち並んでいました。

① 南構口

  17世紀後半の宿場町成立に合わせて築造されたと考えられる重要な史跡です。南北両構口計4ケ所の石垣が現存する例は全国的にも極めて稀と考えられています。 

 延宝年間(1673~1680)から、明治5年(1872)宿駅廃止にいたる約200年間、宿場町の防御や治安維持の拠点としての役割を果たしてきました。現在も石塁と盛土が残りっており往時を偲ばせます。

 昭和51年8月1日に小郡市の市指定史跡となりました。

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②南枡形

  枡形は、道をわざと直角に曲げて見通しをさえぎり、人馬のスムーズな進入を防ぐ仕組みです。容易に無頼者が宿場内を通り抜けできなくなっています。城郭を造る際にも枡形の仕組みが用いられたように、防御のための仕組みです。

  構口と枡形道路は江戸時代の宿場に共通したもので、軍事的警察的な役割を果たしていました。寛文期(1661年~1672年)、宿場町の形成とともに形成されたものと考えらます。

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③旅籠油屋・中油屋

  平成13年12月に市指定有形文化財となった建物です。正式名称を「旧松崎旅籠油屋 主屋(おもや)一棟 座敷一棟」といいます。地元では主屋を「油屋」、座敷を「中油屋」と呼んでいます。主屋には主として一般客を、座敷には身分の高い賓客を宿泊させていたと考えられ、脇本陣に準ずる内容と規模を備えていました。

 「油屋」が建てられたのは江戸時代後期で、当時北部九州でも大型の旅籠建築であったと考えられています。造りは寄棟造草葺で、階高が高い2階建ての外観が特徴です。1階では荷馬が土間で荷の積み降ろしができるように天井を高く設けていました。

 「中油屋」は小郡市教育委員会の調査により、嘉永2年(1849)と書かれた棟札が見つかっています。玄関の間・次の間・座敷の間の三室が、縦に並ぶ本格的座敷です。平成27年春に復原され公開されました。

 「主屋」は平成27年(2015)から解体・調査が始まり、平成28年(2016)から復原工事が始まりました。平成31年(2019)3月23日に落成式が行われ江戸時代の姿に復原されました。

1階見取り図 小郡市教育委員会より借用

2階見取り図 小郡市教育委員会より借用

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▲復原工事中の旅籠油屋主屋(2017.03.03) クリックすると拡大します

▲復原された中油屋 クリックすると拡大します

復原された旅籠油屋主屋(上段:外観、下段:大階段)

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④ 松崎宿歴史資料館

 立石村松崎の大地主であった三原家の土蔵だった建物が、現在、松崎宿歴史資料館として利用されています。三原家は江戸時代より木蝋業を営んでいました。道を挟んで向かいにある松崎公園に三原本家の屋敷がありましたが、現在は九州湯布院民芸村へ「大庄屋屋敷」として移築されています。

 松崎宿歴史資料館では、松崎や薩摩街道の歴史、油屋で使われていた当時の家財道具などを見ることができます。見学は事前に予約が必要です。連絡先は小郡市埋蔵文化財調査センター(電話0942-75-7555)、もしくは当NPO事務局(電話0942-80-1920)です。

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⑤ 北枡形

 概要は「南枡形」とほぼ同じです。ただし、南枡形が、新しい道路が出来て鍵型が少し解り難くなっているのに対し、「北枡形」は当時のままの姿を残しており鍵型がはっきり解ります。

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⑥北構口

 内容は「南構口」とほぼ同じです。少し違うのは、北構口の東側には南北に走る小流路が当時と同じ位置を流れています。当時はこの流路にも防御性があったと考えられています。

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⑦ お茶屋跡

  宿駅での大名などの宿舎は「御茶屋」や「本陣」と称されました。藩営の建物で「御茶屋守」が管理し、大名・幕吏の接待に当たりました。御茶屋守は藩の郡方支配に属し給米を受けていましたが、士分ではありませんでした。 御茶屋はたびたび建て替えられたようで、松崎の御茶屋は、小郡市史によると宝暦11年(1761)5月に普請成就(『石原家記』)され、安永2年(1773)5月に惣立替(『久留米藩政治経済史研究』)されたとの記録があります。松崎宿の御茶屋は現存せず、跡地が残っています。現在は個人宅の畑になっています。

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<松崎宿の歴史>

 松崎宿の歴史は、延宝6年(1678)に薩摩街道が天下道と定められたのに伴い、松崎の地が宿場町として整備されたのが始まりとされている。以来、参勤交代道路として薩摩藩(島津)、熊本藩(細川)、柳川藩(立花)等の九州の主だった大名がここを通過し、重要な宿場町として繁栄していった。

 幕末慶応年間の資料によれば、松崎宿の総戸数は129軒で、大名や小名が宿泊する「御茶屋」・「脇本陣」を含めて「旅籠」が26軒あったという。旅籠以外には、「駅伝(継立)」を設けて物資・書状の運搬にあたったほか、旅人のための「立場茶屋」もあったといわれ、これに食料品や日常品を扱う商家も含めれば、当時の松崎宿がいかに賑わっていたか推測される。

 

甘木鉄道 松崎駅より

  旅籠油屋・中油屋まで徒歩6分

         

 甘木鉄道の時刻表等はこちらを参照ください。

 甘鉄ホームページ

旅籠油屋前に見学者用駐車場があります。