ホーム > おごおり街道七物語 > 消えた薩摩街道
 
 
 
 
消えた薩摩街道

<消えた薩摩街道ってなんだろう?>

 

 江戸時代に参勤交代の道として利用された薩摩街道は、小郡市内の光行から乙隈まで、市東部を縦断しています。小郡市東部はのどかな田園風景が今でも残っている地域で、薩摩街道もほぼ現存しています。ただ、数箇所で圃場整備などの影響で道が無くなっています。道が突然消えているので不思議な感じがします。


 
 

消えたポイント①

 平方区松行の平方圃場整備事業竣工記念碑の数10m先の途切れた場所

 竣工記念碑の南側は田が広がり、その中を街道は光行茶屋方面へ道は伸びています。しかし、数10mで突然、街道は途切れています。

▲クリックすると拡大します

 
 
 

消えたポイント②

 古飯南枡形で消えた場所

 枡形の形状がかなり失われていると同時に当時の街道も失われています。

▲クリックすると拡大します。

消えたポイント③

 下岩田区藤三町(トウゾウマチ)で途切れた場所

 古飯の北枡形を過ぎて下岩田に入ってすぐにT字路になり、T字路の先の部分の街道は消えています。田が利用されていない時には、旧街道跡がうっすらと見えることもあるそうです。

▲クリックすると拡大します

消えたポイント④

 下岩田区寺川で途切れた場所

 下岩田区野田に旧街道の一部が残っていますが、その前後の街道は田んぼとなっています。

▲クリックすると拡大します

<薩摩街道の歴史>

   薩摩街道は松崎藩の成立以降、延宝6年(1678)に参勤交代の道として制定された。それ以降、明治維新までの約200年間、主要道として機能してきた。九州の大名、すなわち薩摩藩・人吉藩・熊本藩などはこの街道を通って江戸へ向かった。小郡市内の薩摩街道は、かなりの部分で昔ながらの姿を留めている。しかしながら、ここにあげた4つの地点では圃場整備の為になくなっている。圃場整備は農業の近代化のために行われた。