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消えた薩摩街道
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<消えた薩摩街道ってなんだろう?>
江戸時代に参勤交代の道として利用された薩摩街道は、小郡市内の光行から乙隈まで、市東部を縦断しています。小郡市東部はのどかな田園風景が今でも残っている地域で、薩摩街道もほぼ現存しています。ただ、数箇所で圃場整備などの影響で道が無くなっています。道が突然消えているので不思議な感じがします。
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<薩摩街道の歴史>
薩摩街道は松崎藩の成立以降、延宝6年(1678)に参勤交代の道として制定された。それ以降、明治維新までの約200年間、主要道として機能してきた。九州の大名、すなわち薩摩藩・人吉藩・熊本藩などはこの街道を通って江戸へ向かった。小郡市内の薩摩街道は、かなりの部分で昔ながらの姿を留めている。しかしながら、ここにあげた4つの地点では圃場整備の為になくなっている。圃場整備は農業の近代化のために行われた。
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