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おごおり街道七物語
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霊鷲寺
<霊鷲寺ってどんなお寺なの?>
霊鷲寺は「りょうじゅうじ」と読みます。
松崎にある禅宗(臨済宗)のお寺です。
寛文8年(1668)松崎藩成立後、藩主有馬豊範が旧三潴郡西牟田にあった霊鷲寺を松崎に遷しました。江戸時代、参勤交代で江戸へ向かう大名たちは、霊鷲寺の門前で籠や馬から降り、跪いて(ひざまずいて)拝んだと伝えられています。
②下馬石
江戸時代、九州の有力大名である島津家、細川家などが参勤交代の為に薩摩街道を利用しました。この薩摩街道に面して霊鷲寺があり、参道の前には「下馬石」があります。昭和30年に補修されたもので、現在は1基ですが、かつては霊鷲寺入口の南と北にそれぞれ建てられていたそうです。『筑後河北誌』(柳勇 鳥飼出版社 1979年)には「往時江戸幕府に参勤の為九州の大々名島津家以下の諸大名や長崎奉行等は此の寺前を通過するに当たっては、悉く駕篭を下り、馬を降り、槍を伏せ拝跪して通過したと云う。蓋し当寺が歴代天皇の勅願寺の、寺格を有したからである。」と記されています。
なお下馬石は、本来寺院の山門前や神社の鳥居前におかれ、「この先、乗馬したままの通行を禁止します」という意味があります。
<歴史>
瑞松山霊鷲寺は松崎北端に位置している。松崎城主有馬豊範の菩提寺として旧三潴郡西牟田より移された。開基※1は西牟田弥次郎永家であり、開山※2はその子雲山元怡和尚である。戦国時代に西牟田氏は滅び、霊鷲寺にも盛衰があった。寛文8年(1668)有馬豊範が久留米藩の附庸として1万石を分封されて松崎城を築くに当り、霊鷲寺を松崎に移すことを幕府に請い、徳川氏の先霊を祀ることなどを条件として移転が認められた。
※1 寺院または宗派を創立すること。
※2 寺院の創始者
広辞苑第二版より
●甘木鉄道 松崎駅より徒歩7分