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おごおり街道七物語
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光行土居
<光行土居を調べてみよう>
光行土居は、中世の頃に築かれた土手のことです。現在でも光行区上浜や、平方区と光行区の境に残っています。元々はこの地域の治水対策として築かれた堤防でした。江戸時代に松崎藩が成立し、薩摩街道が参勤交代の道になりました。その時に、古賀茶屋から光行茶屋までの土居が薩摩街道として活用されました。
<③についての説明>
中世から残ると考えられる土居に水門があります。場所は光行区、平方区の境です。その水門から南北両方に堤防は伸びています。歩いて行けるのは南側の土居になります。地元の方によって草刈清掃等が行われています。土居を歩くと周りの集落や田が見渡せます。尚、設置された年は不明です。
<①と②についての歴史>
延宝6年(1678)に久留米城下から筑前へ向かう街道が、従来の横隈経由から松崎経由に変更された。久留米市八丁島から光行茶屋までの土居上の道が旧街道である。現在、国道322号線として拡幅され面影はないものの、一里塚および光行茶屋のところにわずかに土居跡が残っている。『筑後秘鑑』においてこの地での出来事を伝えており、土居は既に中世のころには存在していたことが認められる。
※『筑後秘鑑』(ちくごひかがみ) 天和2年(1682)頃成立 著者氏名未詳
<③についての歴史>
かつては、大刀洗川・宝満川の逆流などから発生する洪水を防ぐために、光行から稲吉・下岩田に渡って2重に築かれていたという。