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長崎街道1泊2日の歩き旅に参加して
9月19日(土)私達はJR筑前内野駅を9時45分に出発しました。今回の旅は、長崎街道の筑前六宿のうち内野宿から黒崎宿まで、約46.9kmを2日かけて歩こうというものです。因みに当時の旅人は、長崎街道57里(約223.8km)を7日で歩いたそうです。当時の道路、橋や履物(わらじ)等の事情を考えると相当の健脚だったことが想像できます。そういった意味からも、今回の旅は老体にとってひとつの挑戦になったと思います。
内野宿は飯塚から三里七町(約12.5km)で穂波川の流域平野の最奥部、山裾の狭い傾斜地に立地していて筑前六宿のうちでは宿場の面影が色濃く残っているところです。道筋に添い歩いて行くと、江戸時代そのままに町屋、路地、小路、古木などが歴史的景観を留めています。主なものに長崎屋、小倉屋、肥前屋、中茶屋、松屋などがあります。
東構口を過ぎると筑豊平野ののどかな田園地帯に出ました。すでに黄色く色づいた稲の刈り入れがあちこちで行われていました。昔から毎年繰り返されている光景です。作業の道具は変わっても、昔の人達もこの場景を横目に見ながら旅をしていたのです。左に筑豊の山並、右にボタ山を眺めながら歩いて行くと飯塚忠隈に到着です。12時50分です。予定より50分遅れでした。
飯塚宿は博多往還(篠栗街道)の要所としてにぎわい栄えたところです。しかし、宝永7年(1795年)に大火に見舞われて、現在では宿場町の面影を余り留めていないそうです。
昼食後、遅れを取り戻すべく、飯塚より小竹駅まで電車で移動しました。約8km程の短縮です。小竹駅を出て、遠賀川添いに歩いて行くと今宵の宿、プラザホテル直方に着きました。16時30分でした。電車に乗ったお陰で約1時間程早く着きました。本日歩いた距離は約22kmでした。
飯塚駅より見えるボタ山
翌日は、ホテルを後にして、木屋瀬宿に向かいました。この日も天候に恵まれ、旅日和で順調に歩を進めました。地図をたよりに、街道を捜しながら歩いていきます。石仏などの遺跡を観賞しながら進んで行くと木屋瀬宿の西構口に着きました。
木屋瀬宿は古民家、船庄屋、村庄屋跡と旅籠屋等が当時のままに保存されています。この町並みを歩いていると映画撮影用のセットの中に居るようでした。ここの宿には木屋瀬宿記念館があり、たくさんの資料や品物が展示されています。
木屋瀬宿を出ると次の宿、黒崎宿をめざします。この街道周辺は宅地開発されて住宅が立ち並び昔の面影は見られませんが、街道の表示はきちんと整備されています。
黒崎宿の入口に「アケ坂」「中の谷」と呼ばれる急坂の難所があり、そこを登って行くと峠に立場茶屋(銀杏屋敷)があります。参勤交代の諸大名や長崎奉行などが休憩した場所だそうです。北九州市の指定文化財として、しっかり保存されています。
最後に登場するのが曲里の松並木です。昔の面影を留めており、しっかり手入れされ青々と繁っていました。ここを通って黒崎駅に着くと、長崎街道2日間の旅は終わりました。この街道を歩いて感じたのは、往時の旅人の息遣いが聞こえてくるようでした。またこの道は、江戸幕府の鎖国政策を取っていた中で、外国に通じる重要な街道でもありました。このことは、日本の夜明けに貴重な役割を果たしていたんだと実感することができました。
この街道も日本の近代化とともに幾多の変遷を経てきたと思われますが、とぎれながらも、しっかり現代に残されていることを体感することができました。このことは、歴史愛好者のみならず、地元のみなさんの支えがあってのものだということがよく理解できました。
今回の旅程で歩いた歩数6万歩、距離にして約39kmでした。さすがに終盤にさしかかると足が痛みだしましたが、完走できたことで満足感に浸りすっかり忘れてしまいました。
朽網
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